「まんがタイムきららコミックス エールシリーズ(長いな…)」の刊行第二弾。
「コミックエール!」の連載作品のなかでも、創刊時から異彩を放っていた『溺れるようにできている。』のコミックスです。
いやほんとに、この作品だけは傾向が違いました。創刊号を読んだときにも書きましたが、この方だけは白泉社でも「ヤングアニマル」から呼んできたんだろうかと思ったくらいですし。あとから知りましたが、実際白泉社のジェッツコミックスで『箱舟の行方』と『九月病(上・下)』を出版されていますし…。あれ、「アニマル」に載った作品ではないのか。
この作品については、読んでいて思ったことが断片的に出てくるので文章化が難しいです。まとまるように努力はしていますが…。

この作品を読んでいると、「ああやっぱり、女性が描いた『女性のまんが』を読むのは良いなあ」と、私がいつも思っていることを再確認させてくれます。
男性から見た一方的な考えかもしれませんが、女性とは心身いろいろな面で不安定だと思います。そして、「恋」というある種特別な状態に陥った女性はなおさら。いえもちろん男性も不安定になるものなのですがね。
でもこの「不安定」という言葉がくせもので、「恋をすると女性は美しくなる」という、よく言われる格言的な(?)現象も、不安定だからこそ起こる現象であるのだと私は考えています。
シギサワカヤ先生は、そういった「恋をする女性」の不安定さ・あやふやさをきれいに切りとって見せてくれる作家のひとりではないでしょうか。
この作品の主役である佳織さんの場合、不安定だからこそ苦しくなる部分も、不安定だからこそ美しくなる部分も、とてもきれいにページの上に切りとられています。
だからこそ私は、この作品を読んでいて「やっぱり良いなあ」と思うわけです。

ここからは、「私だけ」が理解できそうな話。
シギサワ先生の全作品を読んだわけではないのですが、シギサワ先生の描く女性って、「骨格」で女性らしさを表現しているように思えます。これって、まんがの世界では稀有なものなのではないでしょうか?
文章の世界では、(とくに、「さし絵」がないような場合に)内面などから女性性を表現する作家がいると思うのですが。まんがとかイラストだと、部位的なものとか、しぐさとかで女性性を表現するのが普通ですよね。

この作品、なぜどの話も最後は「くすっと」笑わせる感じで終わらせる話ばかりなのだろうか? 「男性向け少女漫画誌」という触れこみの雑誌の連載だったからか?
あ、でも第2話は違うな。あのときは連載を読んだときもゲラゲラと笑っていたと思う。佳織さんの彼氏である圭さんが、すごく食べることに執着してるように感じたせいでしょう。
関係ないけれど、この『溺れるようにできている。』は、女性読者への受けも良かったんではないか? と思うところがあるのですけども、どうなのでしょうか。


今回シギサワ先生のサイン会もあるのですが(9月6日・渋谷TSUTAYA)、発売日の夜にお店に行ったらもう60人以上が参加券を入手されていたようで。数多くの雑誌で作品を掲載されているだけに、人気が高いのだろうなと思います。