まず湖西晶先生のご出産と、ご長女のご誕生を心よりお祝い申し上げます。ほんとうにおめでとうございます。
そして『ソーダ村のソーダさん。』(以降「ソーダ村。」)の単行本も時同じくして刊行ということで、ダブルのお慶びとなりました。
さてその『ソーダ村。』については、湖西晶先生ご自身も後書き等で、「(読む側の)ご意見が分かれる作品」ではないか、と書かれています。
私も連載中には物語を追いかけて(一迅社「4コマまんがぱれっと」)、途中まではレビューも書いておりましたが、だんだんと物語の拡がり方のとりとめのなさに混乱をきたして、追いかけるのが精一杯になり、感想を書くことを放棄してしまったことをここに告白しておかなければならないでしょう。
ほぼ同じ分量であっても毎回レビューを書くことが楽しみに感じられた前作、『ソーダ屋のソーダさん。』(以降「ソーダ屋。」)との大きな違いのひとつだったのは、やはりこの、「物語の拡げ方の大きさ」になるのではないでしょうか。
正直申しまして途中の段階では、「これは一巻で終わる作品ではないだろう…」と読んでいて思ったものです。良い意味でも悪い意味でも。
物語を紡いで、きちんとした作品としてまとめたという意味では、私は『ソーダ屋。』のほうが優れた作品だと思いましたし、『ソーダ屋。』が、もし「ストーリー4コマ」というジャンルがあるならば、そのジャンルの最高傑作の域に達しているだろう、と考えていることには揺るぎありません。
ただこの作品、単行本として、ひとつの作品として読んでいきますと、これはこれで優れている点もあるわけです。
とくに後半部なのですが、擬似家族であった左右田家の人たち、なつめちゃん・沙和さん・高原さん、そして闖入者であった果子さんを合わせた4人の間で、なつめちゃんを除いたみんながみんな、なつめちゃんを愛していたということがとてもよくわかって、すがすがしい気持ちになれたこと(それはもう、「百合ん百合ん」とでも言いたくなるような【笑】)、そして、沙和さんを愛していた斎田さんが、沙和さんのなつめちゃんへの想いを知って思い悩んでいたことを切々と感じられたことも。
そう考えてみると、この作品はとにかく単純に読んでおくべきだったのかなあと、思わずにいられません。前作が前作だったので、どうしても構えて読んでしまいがちだったことが、この作品の雑誌連載中における私の敗因だったのかなあと。
ともかく単行本として読んでみると、この作品もやはり湖西晶先生らしい物語の紡ぎ方をされていて、その見え方がとても心地よい作品だと思いました。
さてここからは『ソーダ村。』の単行本にゲーマーズ限定でついてくるメッセージペーパーについて。
おそらくバカ話になるので隠しときます。
新宿店では、23日に見たところペーパーが付いていなかったように思えたのですが、24日に池袋店で見たら付いていた。後から付いてきたのかよく分からないのですが…。
いつもはかなりペーパーの印刷が良くない池袋店ですが、『ソーダ村。』のペーパーだけはなぜかきれいな印刷でした。また謎だ(笑)。
一枚のペーパーの半分に、沙和さんの一枚絵イラストがあるのですが、沙和さん、お腹がおっきいんですね。妊娠中のお腹は、命を中に宿しているからなのか、とてもきれいな曲線が描かれています。実際の妊婦さんのお腹のラインもとてもきれいな線をしているものなのですけども。それがよく表現されているように思います。
そしてもう半分にはおバカな斎田さんの4コマなわけですが(笑)。
斎田さんは高原さんのスカートのなかになにを見たのか…? ここでノーパンネタというのも、すでに本編で果子さんがいちどやっていますからねえ。ネタ被りはないような?
お歳(…)を考えると、がっちりと体型補正下着でも履かれているのかとも思うのですが(そんなのと無縁だったら、高原さんスマン。マジスマン)。
あえて突き進んでみる(?)と、ブラジル水着とか、いっそのことTバックならぬTフロントなんかどうでしょう? 現実で見てもそうでもないかもしれないが、絵的にはすごくエロいと思うんです。線がびーっと。
…ほらバカ話だ(笑)。
そして『ソーダ村のソーダさん。』(以降「ソーダ村。」)の単行本も時同じくして刊行ということで、ダブルのお慶びとなりました。
さてその『ソーダ村。』については、湖西晶先生ご自身も後書き等で、「(読む側の)ご意見が分かれる作品」ではないか、と書かれています。
私も連載中には物語を追いかけて(一迅社「4コマまんがぱれっと」)、途中まではレビューも書いておりましたが、だんだんと物語の拡がり方のとりとめのなさに混乱をきたして、追いかけるのが精一杯になり、感想を書くことを放棄してしまったことをここに告白しておかなければならないでしょう。
ほぼ同じ分量であっても毎回レビューを書くことが楽しみに感じられた前作、『ソーダ屋のソーダさん。』(以降「ソーダ屋。」)との大きな違いのひとつだったのは、やはりこの、「物語の拡げ方の大きさ」になるのではないでしょうか。
正直申しまして途中の段階では、「これは一巻で終わる作品ではないだろう…」と読んでいて思ったものです。良い意味でも悪い意味でも。
物語を紡いで、きちんとした作品としてまとめたという意味では、私は『ソーダ屋。』のほうが優れた作品だと思いましたし、『ソーダ屋。』が、もし「ストーリー4コマ」というジャンルがあるならば、そのジャンルの最高傑作の域に達しているだろう、と考えていることには揺るぎありません。
ただこの作品、単行本として、ひとつの作品として読んでいきますと、これはこれで優れている点もあるわけです。
とくに後半部なのですが、擬似家族であった左右田家の人たち、なつめちゃん・沙和さん・高原さん、そして闖入者であった果子さんを合わせた4人の間で、なつめちゃんを除いたみんながみんな、なつめちゃんを愛していたということがとてもよくわかって、すがすがしい気持ちになれたこと(それはもう、「百合ん百合ん」とでも言いたくなるような【笑】)、そして、沙和さんを愛していた斎田さんが、沙和さんのなつめちゃんへの想いを知って思い悩んでいたことを切々と感じられたことも。
そう考えてみると、この作品はとにかく単純に読んでおくべきだったのかなあと、思わずにいられません。前作が前作だったので、どうしても構えて読んでしまいがちだったことが、この作品の雑誌連載中における私の敗因だったのかなあと。
ともかく単行本として読んでみると、この作品もやはり湖西晶先生らしい物語の紡ぎ方をされていて、その見え方がとても心地よい作品だと思いました。
さてここからは『ソーダ村。』の単行本にゲーマーズ限定でついてくるメッセージペーパーについて。
おそらくバカ話になるので隠しときます。
新宿店では、23日に見たところペーパーが付いていなかったように思えたのですが、24日に池袋店で見たら付いていた。後から付いてきたのかよく分からないのですが…。
いつもはかなりペーパーの印刷が良くない池袋店ですが、『ソーダ村。』のペーパーだけはなぜかきれいな印刷でした。また謎だ(笑)。
一枚のペーパーの半分に、沙和さんの一枚絵イラストがあるのですが、沙和さん、お腹がおっきいんですね。妊娠中のお腹は、命を中に宿しているからなのか、とてもきれいな曲線が描かれています。実際の妊婦さんのお腹のラインもとてもきれいな線をしているものなのですけども。それがよく表現されているように思います。
そしてもう半分にはおバカな斎田さんの4コマなわけですが(笑)。
斎田さんは高原さんのスカートのなかになにを見たのか…? ここでノーパンネタというのも、すでに本編で果子さんがいちどやっていますからねえ。ネタ被りはないような?
お歳(…)を考えると、がっちりと体型補正下着でも履かれているのかとも思うのですが(そんなのと無縁だったら、高原さんスマン。マジスマン)。
あえて突き進んでみる(?)と、ブラジル水着とか、いっそのことTバックならぬTフロントなんかどうでしょう? 現実で見てもそうでもないかもしれないが、絵的にはすごくエロいと思うんです。線がびーっと。
…ほらバカ話だ(笑)。
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