twitterにも書いたネタなのですが。本を開いてみて最初に目に飛び込む口絵。あれはどういうシチュエーションなのかいまひとつ理解に苦しむ、といいますか(笑)。
本気でシギサワカヤ先生(あえて「先生」づけ)を問い詰めたいです(笑)。

さて、シギサワカヤさんの最新単行本。とても久しぶりに思えるのですが。事実、前に出た単行本は『ファムファタル』1巻『溺れるようにできている』(芳文社刊)になるのか。約一年ぶり。
2巻もですねえ、良いですよ。

海老沢家の三女・由佳里さんは1巻よりも「身の引き方」が深くなったぶん、展開のスリリング感がより増したようです。由佳里さんは、いうなれば恋のマタドールとでも言いたくなるような。
まっすぐつっこんで来る猛牛・ハイ君を、絶妙のタイミングでいなしていて、間合いは完璧。だったはずが、2巻のラストでついにハイ君の角に弾かれてしまったのか…。
まあでも、内容のほうは単行本を読んでいただければいいと思うのです。

私がこの2巻を読んで感じたことはひとつ。
「なぜシギサワさんはこんな『かっこいいまんが』を描けるのだろうか…」と。
いや。描かれている内容は、1巻から一貫して、男と女のぶざまな様なのです。とくに、ハイ君をはじめとした、男性キャラクター陣のぶざまさといったら。
男性の漫画家さんも、恋愛ごとでのぶざまな様を描くことは多いと思うのです。成人向けまんが作品だと、わりと見る機会が多いと思うのですが。
しかしたいていの場合、そのぶざまな様は、まるで照れ隠しのように描き切られることもないまま終わるのがほとんどなように思います。成人向け作品なら簡単に「その次」へ逃げられるわけですし。

翻ってシギサワさんは、そういった「ぶざまな様」を真っ直ぐな視点から描ききろうとしている。読者の側も当然、そのぶざまな様を直視しなければいけなくなるわけで。
以前に紹介した『九月病(上・下)』もそうでしたが、シギサワさんのそういう点が、読者の神経に良い意味で「障る」のだろうなと。
ぶざまな様をまっすぐに描くことがかっこいい。
こんなかっこいいまんがに、私は読者としてあこがれてしまいます。いや、正確には表現者の端くれとして(それも単なる1ブロガーですが)あこがれている、というべきか。

蛇足として。シギサワカヤさんの作品って、食に対する執着が凄いですよね。なにかしら食うものが出てきますものね。微妙に悪食なのはシギサワさんが描くヒロインの特徴なのか?
そういう面も、私がシギサワさんの作品に注目しているひとつかもしれません。

あと先日、先月発売された雑誌「wings」(新書館刊)のシギサワさんゲスト掲載号を読んだのですが、やはり変わっていないシギサワ節に笑いました。
ていうか、明らかに作品を読まれている対象が違うはずなのに、まったく同じシギサワ節を読ませるあたりは、良くも悪くもちょっとどうかと思います。
もちろん、シギサワさんにそのまんま描かせている編集者さんにももうちょっと考えてほしいと思うのですがね。